鉄道★ 常磐線全線運行再開 新地と浪江の思い出(3/14)

昨日は、鉄道関連のニュースがふたつ。
ひとつは JR山手線京浜東北線・高輪なんちゃら駅開業。
もうひとつは、JR常磐線・浪江~富岡間運行再開 9年ぶりの全線運行。

2011年3月11日 東日本大震災
当時を知らない子供達も増えて、“風化”という表現も耳にするようになった。
この時期が来ると、自分なんかは 3月10日東京大空襲の話題が減ったことを考えるのだが、
あの地震からももうそんなに経つんだな。

自分は 電車に乗って移動中、JR京浜東北線・蒲田駅に着いてドアが開いた時だった。
うたた寝して半眠り状態で、誰がいたずらして車両を揺らしているんだと思った。
電車から締め出され、ホームから締め出され、駅舎から締め出され、
その後の仕事を放棄して 延々と家路を歩いた。途中、
電器店のテレビに映された市原のコンビナート火災の画を見て おぼろげに被害の大きさを知った。

2011年6月 福島・新地町へ
数ヶ月後、仕事で 福島県相馬郡新地町に行った。津波で大きな被害を受けた地域。
宮城に行った同僚から 瓦礫の山や陸に打ち上げられた船の写真を見せられていたので、
こちらはどんな惨状かと思ったら 爪痕らしきものは見当たらず。
以前の景色を知らない自分には 更地がただ広がっているように見えた。
しかし、これは建物が流されて何もなくなって一変した景色なのだと 地元の人が話してくれた。

東京へ帰るには、原発事故のあった南へは電車も道路も使えないから、
西(東北新幹線 福島駅)へ出るか 北(同 仙台駅)へ出るか。
仙台回りに決め、バスの停留所がある新地町役場まで車で送ってもらった。
新地駅も流されてしまって電車は無いから、代行バスに乗るんだ。

町役場から海側を見渡すと、ところどころ新築の家が建って
少しずつ復興が進んでいる様子も伺え、整ってさえ見えた。
その日の自分の仕事をそこで全うして落ち着けたこともあって、
静かに穏やかに ゆっくりと時が流れているように感じた。
人は居ないし はばかれるような被写体もなかったけど、新地町の写真は一枚も撮らなかった。

バスに乗って、仙台側からの電車が通じている南端 亘理駅へと向かった。
途中 すれ違った代行バスの車内にたくさんの人たちが乗っているのを見て、
そこに暮らしがあることを実感し、胸が詰まった。

新地町には 内陸側に新しい線路が引かれ、2016年12月10日に運行が再開された。
待っていても鳴ることのなかった新地町駒ヶ嶺の踏切。
あそこにも今は電車が走っているんだね。

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東北自動車道を北へ
前を走るのは、陸上自衛隊災害派遣車両

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国道115号線

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JR亘理駅(わたり と読みます)

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※写真は、当時記事から再掲載 https://racco.fc2.net/blog-entry-868.html


2001年2月 福島・浪江町へ
福島県双葉郡浪江町へ行ったのは、震災の10年前。
行った先のおばあちゃんに “お弁当代”ってティッシュに包んだお金をいただいた。
一緒にもらったビールやみかんが入ったコンビニ袋につっこんじゃったから…
帰りのスーパーひたちの車内で ふだん飲まない酒を飲んだ後、
空き缶とみかんの皮と一緒にして捨てちゃって… 本当に申し訳ないことをした。
9年前も 今も、浪江と聞くと おばあちゃんとそのご家族を思い出す。

いわきを経由して、浪江へ
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国道6号線 福島県いわき市

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国道6号線 福島県

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2001.2.22
CASIO LV-10


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